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  • 2026.02.24
  • 授業 教員インタビュー
  • 「ナラティヴの心理学」AI時代だからこそ「人」をより深く理解する学びを 国重浩一先生インタビュー

AIの進化がビジネスのあり方を大きく変えようとしている今、人材開発・組織開発の実践者には、テクノロジーを使いこなす能力と共に、これまで以上に「人」をより深く理解する力が求められています。そうした中、LDCでは、2025年度より二年次、秋学期の必修科目として「ナラティヴの心理学」を開講しました。授業を担当されるのは、臨床心理士であり、ナラティヴ・アプローチの第一人者である国重浩一先生です。2025年9月から12月にかけて行われた授業を振り返りながら、国重先生と、この授業の立ち上げに関わられた中原淳教授にお話を伺いました。

 

 

「ナラティヴの心理学」開講の背景

 

―はじめに、先生のご来歴についてお聞かせいただけますか。

国重浩一先生(以下、国重) 私はニュージーランドのワイカト大学でナラティヴ・セラピーを学び、長らくニュージーランドと日本で臨床での実践を続けてきましたが、ここ10年弱は書籍の執筆や、講座やワークショップなどを通じてナラティヴについて伝える活動も行っています。2年ほど前に日本に拠点を移しまして、今は臨床の方をもう少し増やしていこうとしているところです。

 

―LDCで「ナラティヴの心理学」が開講された背景について教えてください。

中原淳先生(以下、中原) この点については、私からご説明します。AIが進化していく時代に、LDCとしては二つの方向性を追求する必要があると考えています。一つは、AIを使いこなすためのデータサイエンスなど、「科学知」をより高めていくこと。そしてもう一つが、「臨床知」と呼んでいる、より人間臭い、ヒューマンビーイングに寄った領域を深めていくこと。一斉講義のような知識のインプットはそれこそAIに任せ、LDCでは「科学知」の高度化と「臨床知」の深化、この両極を強化していきたいと考えています。これまでもLDCでは「対話」や「ファシリテーション」の重要性を説いてきました。ですが、より深く人のコミュニケーションを捉えるためのレンズとなる新たな概念体系が必要だと感じていました。それが「ナラティヴ」という考え方だったのです。

 
―人材開発、組織開発の実践において、なぜ「ナラティヴ」が必要なのでしょうか?

中原 人材開発や組織開発の現場では、個人や組織が持つ「とらわれ」に自ら気づいてもらうようなカウンセリング的な介入が必要になることがあるからです。たとえばエグゼクティブコーチングの場面では、「リーダーは弱みを見せてはいけない」といった固定観念に「とらわれ」、部下との関係がうまくいかないことがあります。チームや職場単位の課題解決の場では「このやり方以外に方法はない」などと、一つの見方に「とらわれ」、議論が前に進まなくなるようなことがしばしば起こります。そうした状況下で、自らその「とらわれ」に気づき、変化していくプロセスを支援するためには、ナラティヴという概念装置は非常に有効だと考えました。「とらわれ」とは、端的に言えば、「本人のなかでは、合理的だととらえられている支配的ナラティブ」です。この支配的ナラティブから自由にならなければ、ひとは合理的行動をとることができません。

 国重先生には、以前カウンセリングについて直接ご指導いただいた経緯もあり、「経営学の文脈に寄せることなく、先生が実践されていることをそのままお話しいただきたい」とお願いし、この授業が実現しました。

 

◇ナラティヴ・アプローチとはなにか

 

―人材開発や組織開発の実践現場で、ナラティヴ・アプローチが有効な場合がある、とのことですが、そもそもナラティヴとはなんでしょうか?

国重 「うーん…ナラティヴって何ですか」という問いは、ナラティヴ・アプローチを実践している側として一番答えにくい質問かもしれません。多くの方が「ナラティヴ」を「物語」や「語り」といった言葉から理解しようとしますが、そこからではナラティヴ・アプローチの本質は見えてこないのです。重要なのは、ポスト構造主義や社会構成主義などの認識論に基づいて「人をどう見なすか」という視点の部分にあります。人というものを、社会的にも文化的にも、あるいは使っている言語からも影響を受ける存在である、と捉えられるかどうか。人をどう見なすか、どのような存在として捉えるのか、その考え方の根底にあるレンズを変えない限り、どれほど人の「語り」に耳を傾けようとしても、同じ話にしか聞こえてきません。

 

中原 ビジネスの文脈で少し補足説明してみます。ビジネスの現場では、とかくものごとを属人的に捉えがちです。「あの人は能力が低いから仕事を覚えない」とか「あの部署の業績が悪いのは、あのマネジャーがダメだからだ」とか。ですが、考えてみてください。夫婦関係が悪い時に「夫が悪い」「妻が悪い」と言い合うだけでは関係を改善することはできません。夫側にも妻側にも、それぞれの見え方があり、それぞれの言い分があるからです。同様に、組織内にも特定の誰かを悪者にするだけでは解決に至らない問題は山ほどあります。ナラティヴ・アプローチでは、そういった個人の内面や性格に原因を求める考え方をあえて採用しません。これまで「仕事ができない人」としか見えなかった相手も、「社会的な関係性の中でつくられている」という社会構成主義的なレンズを通して見てみると、その人がそうなってしまう背景や文脈が見えてきたりします。すると、問題は個人の内面だけにあるのではなく、関係性や環境の中に存在するという可能性に気づけるのです。

 

―人や組織の中で「あたりまえ」になってしまっていること、「これが正しい」と思い込んでいることなど、これまでの前提を疑い、「レンズ」を変えて見ることで、問題を解決する糸口がつかめるかもしれない。その「レンズ」の変え方を学ぶ授業、というわけですね。

 

国重 といっても、「今のレンズがダメだから、変えなければならない」というわけではありません。今かけているレンズは、みなさんが好き好んでかけているものではなく、社会的な文脈によって「そういう見方をするものだ」と要請され、いつの間にかかけてしまっているだけだからです。大切なのは、自分はどんなレンズをかけているのかを知り、他のレンズをかける、という選択の可能性に気づくこと。つまり、世界は別の見方ができるのだと知ることなのです。

 

ワークで掘り下げる「対話」の本質

 

―「ナラティヴの心理学」ではどのような授業が行われたのか教えてください。

国重 授業の構成としては、まず参加者全員に声を出してもらうためのチェックインから始め、その後、講義とディスカッションを行い、後半には自分で体験して感じてもらうための様々なワークを組み込みました。講義では、ナラティヴ・セラピーの哲学的背景である「ポスト構造主義」や「社会構成主義」についてお話ししました。これは先ほどお伝えした、「人をどう見なすか」という視点に深く関わってきます。例えば、誰かがうつ病や適応障害になった時、伝統的な心理学では、その人自身に「疾患という問題がある」と考えがちです。しかし、哲学や社会学、文化人類学といった分野では、異なる見方が発展してきました。授業では、まずこの「問題はその人の中にあるのではない」という考え方をベースにお話し、それを基盤として、例えば「対話とは何か」といった、これまで当たり前だと思っていたことを一つひとつ、考え直していくようなアプローチを取りました。

 

―「対話とは何か」というのは難問です。多くの組織で「対話が足りない」「対話ができていない」ということが課題となっていますが、未だに解決策がありません。

国重 対話というのは、そもそも一方が話し、もう一方が聞くという非対称な場面の連続です。では、相手が話している時に、私たちはどのように聞いているでしょうか。多くの場合、私たちは相手の話を聞きながら、「次にどんな意見や感想を言おうか」と考えています。しかし、その前にできることがある、と私は考えています。

 

―その前にできること、とはなんでしょう?

国重 相手が言ったことを、自分がどう聞いたのか、どう聞こえたのかを、きちんと相手に確認することです。この確認がないから、相手は「聞いてもらった感じがしない」のです。賢い人ほど二、三手先のことを考えて返してしまうので、なおさら「聞いてもらった感じがしない」。感情面でも同様で、こちらがつらい話をし始めたときに、即座に「つらかったね」と同情されると、かえってその後の話が続けにくくなります。まずは、「相手の言葉を、感情を乗せずにそのまま受け取る」。話し手は「受け取ってもらえた」と感じることで安心して次の話を続けることができます。この「感情や考えを乗せずに聞いてもらう」という体験は、実はとても気持ちが良いものなので、授業でワークを行った後、「自分の内的な理解や思考が進んだ」と話す受講生もいました。

 

ナラティヴ・アプローチの新たな可能性

 

―今回、LDCへのご出講の依頼を、率直にどのように感じられましたか?

国重 お話をいただいた時は、正直、「僕でいいのだろうか。大丈夫かな?」と少し不安でした。LDCで学んでいるのは、社会の第一線でバリバリ働いている方々ばかり。私がこれまでお会いしてきたのは、どちらかというと悩みや苦しみを抱えた方々が中心でしたから、前向きなエネルギーのある方々と向き合う、というのは、自分にとって新しい挑戦だと感じました。

 

―実際に授業を担当されて、LDC生に対してどのような印象を持たれましたか。

国重 授業がはじまってまず感じたのは、みなさんのオープンな姿勢です。学びに対して非常に開かれていて、こちらが言ったことをまず受け入れようとしてくれます。そして、受け取ったことや疑問に思ったことを、ご自身の感覚や気持ちも含めて共有してくれる。これは、LDCという場がこれまで育んできた文化なのだろう、と感じました。みなさんが常に、ご自身の関わっている場面を思い描きながら「この学びをどう応用できるだろうか」と考えているのが印象的でしたね。いつもご自身の課題と紐づけ、関連させながら学んでくださっている感じがありました。

 

―受講生からは、「クライアントとの関わり方が変わった」「家族との関係が変わった」といった、変化を実感する声が多数寄せられているとのこと。何がそうした変化につながったと思われますか?

国重 私自身は、受講生の個人的な変化を目的として授業を行ったわけではありません。受講生の皆さんはおそらく、この授業で得た手がかりを元に、ご自身の重要な人間関係や対話の場面で「相手をどう見るか」の視点を変えてみよう、と試みたのではないでしょうか。その結果、物事の運び方が変わったり、景色の見え方が違ってきたりした、ということなのかと思います。

 

―授業を終えて、なにか受講生の変化を感じられたことはありましたか?

国重 二年次の秋学期の授業ということもあり、私が関わる以前から受講生同士の雰囲気はとても良く、お互いに声を掛け合おう、理解しあおうとする土壌がありましたが、この授業を通じてさらに良くなった気がします。仲間がいかに自分に貢献してくれたかを、互いにしっかりと声に出して表現していた様子がとても印象に残っています。

 

―国重先生はこれまで、個人や家族を対象としたカウンセリングを中心に活動なさってきましたが、人材開発・組織開発について学ぶ大学院でナラティヴ・アプローチを教えることに、どのような可能性を感じていらっしゃいますか。
国重 これまでも組織やグループに関わる方々が、私のナラティヴに関する講座に顔を出してくださることがしばしばあったので、「組織にも生かせるのかもしれない」ということは感じていました。よく考えてみれば、私自身も長年スクールカウンセラーとして、不登校の生徒や保護者と学校との関係調整をしてきたので、学校という組織の問題に関わってきたのかもしれない、とも思いますし、その可能性を感じ始めたところです。とはいえ、私はあくまでも一臨床家として、現場での経験を基に物事を考えてきましたから、この授業ではみなさんに、そうした臨床知をお伝えしたいと思っています。私の授業が、みなさんご自身のものごとのとらえ方、人の見方について考えてみるきっかけとなれば嬉しいです。