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  • 2024.11.21
  • 教員インタビュー
  • <LDC教員ロングインタビュー>藤澤 広美 助教(前編)「転機や出会いの先にある行動が、自分を変えるきっかけになる」

 

LDC教員にスポットをあて、深堀りするLDC教員インタビュー。今回はリーダーシップ・ウエルカム・プロジェクト、人材開発・組織開発論1・2、質的研究法、キャリアとリーダーシップ論、リーダーシップ・ファイナル・プロジェクト1・2の講座やコース運営を担当する藤澤 広美先生です。専門は、キャリア教育、人材マネジメント・人材育成。大学キャリア教育や組織におけるチーム活性化について研究されています。

 

 

◇転機の多い子ども時代

 
―今日は藤澤先生の歩んでこられたキャリアについて詳しくお伺いしていきたいと思います。生まれは島根県とのことですが、どのような子ども時代を過ごしていらしたのですか?

 

藤澤 生まれは島根ですが、すぐに親の転勤で引っ越しました。その後も中国地方を転々として一番多くの時間を広島で過ごしました。幼少期は、兄やその友人たちと山や川、田んぼとか自然の中でよく遊んでいました。嫌なことはハッキリ断るような子どもだったようですが、周りにいる人たちをよく観察して行動するタイプでもありました。小学生のときは転校が多くて大変でしたが、その度に自分を変えていくきっかけにもなりました。

  

―転校で「自分を変えていく」とは?

  

藤澤 初めての転校は小学2年生のときでした。担任の先生からお別れの挨拶をするよう求められてもクラスメイトに上手く感謝の気持ちを伝えることができずに悔しい想いをしました。それをきっかけに「次の学校では変わろう」と決意しました。転校先では初日から全校児童の前で挨拶をして、クラスではリーダーに立候補するなど大きく振る舞いを変えました。それからは転校の度に「理想の姿をイメージして自分を変えていく」ということを続けていきました。

  

―「理想の姿をイメージして自分を変えることができる」ということをその頃から気づいていたというのは、なんとも意識の高い小学生ですね!

 

藤澤 わたしの場合は転機の訪れが早く、短いスパンでやってきたことが関係しているように思います。ただ、1~3年のスパンで転校・転居を繰り返すことは徐々に自分だけでなく家族にとっても負担となり…。中学2年生になってからは自暴自棄になったり、道を踏み外しそうにもなったり、人間関係に冷めた思春期が始まりました。ただ学生時代には、そんなわたしの心を救ってくれる出会いもありました。中学時代の恩師は、中学3年時の担任の先生です。先生は大人からの信頼を失いかけた過去のわたしではなく「いまのわたし」を信じて背中を押してくれました。信じてくれる大人の存在がいてくれたことで、わたしは学内推薦を受けて広島市内の進学校に入学することができました。

  

―素晴らしい出会いがあったのですね!高校ではいかがでしたか?

 

藤澤 高校では軽音楽部に入部して女の子4人でバンドを結成しました。私はギターとコーラス担当で、どうすればチームの力を最大化できるのか、といったことをよく考えていた気がします。バンド活動が盛んな高校だったので文化祭に出演するためにオーディションがあって、たくさんのフィードバックをもらう機会がありました。舞台の上でどのようなパフォーマンスをすると見ている人たちが楽しめるのか、そのために他者評価をどのように活かすのかという視点は、この時に初めて学びました。3年間をともに過ごしたバンドメンバーは今でも良き友人です。彼女たちとともに過ごした日々がわたしの心を癒やし、人とともに生きることの楽しさに改めて気づかせてくれました。

  

―大学受験やその後の大学生活はいかがでしたか?

 

藤澤 実は、高校卒業後の進路としては、映像関係の専門学校を考えていました。大学進学コースから外れていたのですが、両親や先生からの勧めもあって広島県内の大学に進学しました。そこで、人生計画が変更になったことで、せっかく与えられた社会に出るまでのモラトリアム期間を有意義に過ごそうと思いたちました。大学では興味・関心のある科目は学部を横断して履修したり、1年に1つは資格を取得をしたり、バンド活動も継続してキーボードやベース、ボーカルをしたりと、さまざまなチャレンジをしました。それから、この頃から「働くことや働くひと」に興味があったので複数のアルバイトを掛け持ちして、働く場やひとの観察、実体験を楽しんでいました。

 

―アルバイトではどのような経験されたのでしょうか?

 

藤澤 大学時代に経験したアルバイトは、ウェディングコンパニオン、アパレル販売、出版社編集、アンケート調査スタッフ、営業代行など10種類以上。その中でもメインは、家電量販店にメーカーとして派遣される家電販売スタッフでした。機械類が好きだったことも関係してか、PCやデジタルカメラの販売台数で全国1位になったこともありました。その場で与えられた役割を演じつつ「どのようにアプローチすると顧客の購買意欲が喚起されるか」といった心理的アプローチを考えて実験することも楽しかったです。

 

◇組織への問題意識が芽生え、社会人大学院へ

 

―大学教員になられる前に会社員をされていたと伺いました。

 

藤澤 はい。大学卒業後1社目は、医療従事者専門の人材紹介を行うベンチャー企業に入社しました。病院やクリニック、介護施設等への新規顧客開拓や人事・採用に関するコンサルティング営業を担当していました。仕事自体は自身の興味・関心や経験との相性がよく順調だったと思いますが、ベンチャー企業特有の課題も感じていました。入社2年目に昇進して支店の売上管理や後輩育成といった重責を担うようになったのです。上長が半年に一度異動するという環境にも懐疑的になって「ここで学べることは少ないのではないか」、「自分の成長のために環境を変えたい」という思いが強くなり、退職を決意しました。結果的に新卒1社目は不本意な離職を経験したのですが、社会人としての基盤を形成してくれた組織や上司にはとても感謝しています。また、「ひとと組織」について学び、それらの課題と向き合うことができた、いまにつながるよい経験になったとも感じています。

 

―その後、大学の仕事に就かれたのでしょうか?

 

藤澤 いえ、民間企業に転職をしました。2社目は、1社目とは真逆の環境に身を置きたいと考えて、老舗のメーカー販社に法人営業職として入社しました。はじめのうちは職場に貢献しようと仕事に励んでいたのですが、徐々に組織へのモヤモヤを感じるようになりました。前任者からの引き継ぎは1日のみ。中途採用者への教育・研修は、ないに等しい環境でした。やる気だけが空回りするような日々が続いて、働きにくさを感じるようになっていきました。自分でも職場に適応しようと働き方を模索したり、上司に提案をしたりしたのですが、そう簡単に組織や上司が変わるわけもなく、新たな学びの場を求めている自分がいました。後輩も戸惑っている様子を目にするうちに「ひとがイキイキと働ける組織や環境とはいかなるものか」、「そもそも適切なマネジメントや人材育成とは何か」など、ひとや組織についての問題意識が膨らんでいきました。

 

―目の前に置かれた状況から、ひとや組織への問題意識が芽生えたのですね。

 

藤澤 はい。そんなとき仕事帰りに偶然、高校時代の同級生に再会しました。同級生の「いま社会人大学院に通っている」という話が印象深く、興味本位で調べてみると「わたしの学びたいことはここにある」という直感がありました。そのときに抱えていた組織へのモヤモヤを解決できそうなことばかりが大学院のホームページに掲載されていたのです。この出来事をきっかけに26歳で広島大学の社会人大学院へ進学しました。

 

―仕事を辞めずに大学院にいらしたのですね。 社会人大学院生活はいかがでしたか?

 

藤澤 はい。フルタイムで営業職の仕事を続けながら社会人大学院に進学しました。入学前に職場や上司に事情を伝えて「平日の夜間授業日は定時で上がります!」と宣言していました。一方で職場に迷惑をかけないようにタイトな労働時間でいかに営業成績をキープするか、ということを考えて実行していました。大学院では、これまでの現場仮説を答えあわせするような学びが多く、徐々に自信を取り戻していきました。自分の問題意識を探究して課題解決の糸口をみつけだすというプロセスも面白かったです。また、当時の自分は「教えること」に向いていないと思い込んでいたのですが、それが覆される経験もしました。修士課程を修了するとき、今後の自身のキャリアについて指導教員に相談したところ「若い人に対して寄り添った支援ができるのでは?」というフィードバックをいただいたのです。わたしの修士論文のテーマは「若年層がイキイキと働ける職場づくり」だったので、とても腑に落ちました。その日のうちに産業カウンセラーの養成講座に申し込み、資格取得後に会社を辞めました。2013年からは運良く、大学院の先輩から紹介していただいた県立広島大学のキャリアセンターでキャリアカウンセラーとして学生キャリア支援の仕事を始めることになりました。

 

―インタビュー後編では、「理論と実践の往還」「LDCの立ち上げと授業づくり」「LDCで学ぶ方々へのメッセージ」について伺ったお話をご紹介いたします。