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  • 2024.08.26
  • 教員インタビュー
  • <LDC教員ロングインタビュー>田中 聡 准教授(後編)「人や組織の課題解決をつかさどる人たちこそ、黒子ではなくリーダーや経営者となって活躍してほしい」

LDC教員にスポットをあて、深堀りするLDC教員インタビュー。今回は経営学研究科リーダーシップ・ウエルカム・プロジェクト、データアナリティクス演習、チームワーク論、リーダーシップ・ファイナル・プロジェクトの講座を担当する田中 聡先生です。 田中先生は人的資源管理論(人材マネジメント)がご専門です。

 

インタビュー前編では、 人や組織に興味を持つまでのお話しを伺いました。後編では、「研究テーマである、経営人材の育成や新規事業をつくる人材・組織のマネジメント 」「LDCで学ぶ方々へのメッセージ」について伺っていきます。

 

 

◇20代2人で新規事業立ち上げを担当

 

―子会社への出向も、田中先生にとっては、とても成長できる現場となったのですね。

 

田中 はい。とはいえ、事業はずっと順調というわけではありませんでした。新卒3年目の2008年にはリーマンショックがあり、インテリジェンスでも大規模な雇用調整が行われるなど、HR業界全体として大打撃を受けました。当然ながら私が担当していたアパレル業界も厳しく、採用支援を本業としている我々のもとにも従業員をどう退職させるのかの相談が頻繁に寄せられるようになりました。私も現場でお客さんの課題と向き合う中で、「採用支援だけでは限界がある。HRビジネスが本当の意味でインフラ産業となり、人と組織の課題解決を総合的に支援できるようになるには、人と組織のあり方を科学する専門的な組織が必要になるのではないか…」と考えていました。そんななか、親会社でシンクタンク立ち上げの構想があることを知り、自ら手を挙げ、2010年に、私より1つ年下のメンバーと私の二人で立ち上げを担当することになりました。

 

―それが、現在のパーソル総研の前身となる、インテリジェンスHITO総研(株式会社インテリジェンスHITO総合研究所)ですね。当時、田中先生は27歳。ということは、26歳と27歳の2人で立ち上げたのですか?

 

田中 はい。総研のトップは当時のインテリジェンス社長である髙橋広敏さん、他に担当役員2名と事業部長1名が経営陣にいましたが、実質的な立ち上げメンバーは我々2人でした。丸ビルオフィスのフロアの一角を借りて、会社のホームページを作るところからです。研究員としての配属だったのですが、2人とも研究のノウハウがあるわけではなく、社内を見渡してもそれらしい経験を持った人は誰一人いない状況です。まずは、雇用市場や人材マネジメントに関する論文や文献・レポートを読んだり、調査をやってみたりしながら、自分たちなりの主張をまとめて対外的にレポートを発信することからはじめました。設立翌年の2011年には東日本大震災が起き、震災とその後の復興特需が各業界の人材需給に与える影響をまとめて発信したりしていました。メディア対応なども自分たちでこなさなければならず、大変でしたが楽しかったですね。

 

―HITO総研は、その後どんな風に成長していったのですか?

 

田中 まずはシンクタンク部門が立ち上がり、その後、コンサルティング部門、新規事業開発部門、教育研修部門というふうに事業領域を広げながら成長していきました。当初は調査や研究内容をレポートにまとめて発信したり、人事責任者向けのイベントを開催したりしながら、社会的な認知を高めていきました。少しずつ「HITO総研調べ」といった形でメディアにも取り上げられるようになってきた頃から、新たなメンバーが社内外から加わって、コンサル事業や教育研修事業が始まりました。本社の法人営業チームと総研がタッグを組んでお客様向けに必要な情報やサービスを提供することができるようになってきたことで、会社として急成長していきました。

 

◇会社員のまま大学院へ進学

 

―田中先生が大学院に行かれたのはその頃でしたか?

 

田中 2014年です。様々な研究や調査を世に発信していく中で、自分自身がもっと専門性を身につけなければいけないと強く感じていたので、ごく自然な流れで大学院への進学を検討するようになりました。進路先も迷いなく、中原淳先生のもとで学びたいという思いで、東京大学大学院 学際情報学府 文化人間情報学コースへ通うことにしました。中原研究室を志望した最大の理由は、中原先生が「現場に届く研究」を志向されていたことです。わたしもこれまでの経験から、現場で課題を抱える方々に貢献できる研究をしたいと思っていたので、その研究理念には強く共感していました。わたしが研究室に入ってすぐ中原先生にはHITO総研の仕事にも関わっていただき、最初に取り組んだのがアルバイト・パートの早期戦力化をテーマにした共同研究プロジェクトでした。書籍『アルバイト・パート[採用・育成]入門―――「人手不足」を解消し、最高の職場をつくる』(2016年、中原淳・パーソルグループ著、ダイヤモンド社)のもととなった研究です。

 

―その後、修士課程を経て博士課程に進み、2018年に立教大学へいらした、というわけですね。

 

田中 そうですね。これまでのキャリアを振り返ってみると、4年毎に変化のタイミングがありますね。新卒入社した2006年から2010年は子会社に出向していて、その後、2010年から2014年は新会社(現・パーソル総研)を立ち上げながら手探りで研究活動や発信を行い、2014年から2018年までは働きながら大学院へ行き、2018年から2022年末までは助教として立教大学に勤めることになり、2023年から准教授となり…とほぼ4年毎のスパンでキャリアの節目があるような…。

 

―なかでもシンクタンクの研究員から大学教員へのキャリアチェンジは大きかったと思いますが、決断した理由はどんなところにあったのですか?

 

田中 パーソル総研での仕事環境にはまったく不満はありませんでした。自分の関心ある研究テーマを自由に設定して、裁量権をもってチームで仕事ができる立場だったので、とても恵まれた環境でした。働きながらフルタイム大学院にも通わせてもらえてましたし。ただ、立ち上げから8年在籍して、少し成長実感を感じにくくなってきたなという感覚を持つようになりました。会社や事業を立ち上げた頃はやることなすことすべてが新しかったのですが、徐々になにをやっても既視感があるという感覚に陥っていました。当時を振り返ると、ぼんやりとなにか環境を変えたいという思いがあったのかなと思います。そんななか、立教大学への移籍が既に決まっていた中原先生から「一緒に立教に行かない?」と誘っていただき、最初はそれほど本気で考えていなかったのですが、その後、話が進展し、転職を決めることになりました。快く送り出してくれたパーソル総研の仲間たちには心から感謝しています。

 

―大学教員になりたいといった思いは以前からおありでしたか?

 

田中 いえ、全く考えていませんでした。シンクタンクを立ち上げたのも、その後に大学院に進学したのも、HRビジネスのために何かしたい、という思いでした。ただ、実際に大学院で学び始めると、自分の無知さや研究の面白さにのめり込むようになり、もっと続けたいな、という思いが湧き上がってきました。もちろんシンクタンクでも研究を続けることはできますが、研究テーマを自由に設定できる自由度や、研究を通して得られた知見を自分の意見として世の中に発信できるところ、そして何より「教育」というかたちで次世代の育成に貢献できることは大学ならではの魅力だなと思います。

 

◇人や組織の課題解決をつかさどる人たちは一番元気でなければいけない

 

―経営人材の育成や新規事業をつくる人材・組織のマネジメントなどを研究テーマとして取り組んでいらっしゃるのはなぜですか?

 

田中 最初配属された子会社でもその後のシンクタンクでも、とにかくいろんな経営者の方たちとお仕事をさせていただく機会が多く、そこでの原体験と問題意識が動機の原点にあると思います。HITO総研の立ち上げ時は、髙橋社長の近くで仕事をしていましたので、社長ならではの苦悩や葛藤、他人に言えないような悩みがたくさんある、ということもよくわかりました。一般に経営人材というといわゆる成果を出している有能なミドルマネジャーがその先のキャリアとして見据えるものだという考え方がありますが、経営人材と管理職は求められる役割も思考様式も視点や視座も…もう何もかもが全く違うんです。いわば「まったく別の生き物」です。ですから、管理職として成果を出した人材の中から次の経営人材を選べば良いというシンプルな話ではありません。経営人材を育成するためには、それに適した特別な機会が必要です。では、戦略的に経営人材を育成していくためにはどうすればいいのか。経営人材育成に必要な経験特性のひとつとして「新規事業の立ち上げ」がある、ということで始めたのが「新規事業を創る人と組織に関する研究」でした。

 

―経営人材はどうやって育てればいいのでしょう?

 

田中 その答えは簡単ではありません。ただ、その答えを探る鍵が「教育」にあると思ってます。先ほどお話ししたように、シンクタンクではできない「教育」に携われる、ということが立教大学に来た理由のひとつです。立教大学に移る前の2016年頃から兼任講師という立場で立教大学のBLP(ビジネス・リーダーシップ・プログラム)の授業に関わるようになり、そこで行われているリーダーシップ教育に衝撃を受けました。企業の管理職層になってから学ぶようなリーダーシップの考え方をすでに学部1年生たちが実践を通じて学んでいる。しかも、とても生き生きと楽しそうに。その教育現場を目の当たりにして、残念ながら、40、50代の管理職になってからリーダーシップを学ぶようでは遅すぎると感じました。BLPに関わるなかで、リーダー育成やリーダーシップ教育の可能性と、それを早い段階から学ぶこと(早期教育)の必要性を強く感じる実感するようになりました。

 

―実際、学部生に教える立場になって、いろいろご苦労もあったのではないかと思います。

 

田中 それはもう…数えきれないほどの苦労が…(笑)専門的な内容だけを教えていればいいというわけにはいきません。たとえば、私のゼミは「人とチームのマネジメント」を学ぶゼミなので、人とチームでコケるわけにはいきません。ゼミ内の関係性やチームづくりには力をいれています。他にもゼミでは企業とご一緒する機会がよくあるのですが、例えば、メールの書き方や打ち合わせの日程調整、議事録の取り方、イベント準備の段取りなどなど…教えることは多岐にわたります。もちろん、彼らは教わってないので仕方ないことなのですが、それまでビジネスパーソンと仕事をしてきた私にとってはなかなかのリアリティショックでした(笑)今も毎日、思いもよらないことが起きますが、こちらがいろいろ学ぶことも多いです。結局、「教えよう」とするとよくないですね。目的と期待と絶対に外してはいけないポイントの3点だけを伝えて、あとは学生たちを信じて任せるようにしています。結局、自分たちでやりたいこと、自分たちで決めたことを責任もってやっている方が期待以上の成果が出やすいなと思います。キャリア選択でも同じことですが、「数ある選択肢の中から自分で選んで決めた」という感覚をもつことが大事で、教員は「先生は答えを出してくれないんだ、自分たちで決めるしかないんだ」という状況をつくることが大事。そういう意味では、教育に対する自分の考え方も少し変わってきたところはありますね。

 

―学生たちに対して、どんな思いを持っていますか?

 

田中 私自身もそうでしたが、人は大学に入ってから大きく変わります。立教の学生たちも、みんなものすごくよく学んでいるし、入学時と卒業時ではまるで別人のように成長しています。その割には今一つ自己肯定感が低いというか、自分で自分を褒められないような感じで、そこがすごくもったいないし、残念に思っているところです。立教大学に移ってすぐに中原先生らと「データアナリティクスラボ」という組織をつくり、学生が大学での学びを通じてどう成長しているかをデータで継続的に測定し、学びの軌跡を明らかにする取り組みを始めました。どうすれば学生たちが成長を実感しながら、自己肯定感高く、前向きに学べるようになるか、日々考えています。

 

―LDCについては、どんな思いをお持ちですか?

 

田中 なにより私自身、「人と組織の課題を解決するプロを育てる」というLDCのコンセプトに非常に共感しています。いま中原先生と人事メディア「日本の人事部」編集長長谷波さんらと「シン・人事の大研究」という人事パーソンの学びとキャリアについての研究プロジェクトも行っているのですが、全社の人と組織に関する課題解決を担う人事のみなさん自身が、人と組織の課題に直面して、疲弊してしまっている現状に強い問題意識を持っています。人づくり組織づくりに即効薬はありません。絶え間ない工夫と改善の果てにじわじわと少しずつ効果が見られ、成果につながっていく土壌改良のようなものです。営業職のように分かりやすく成果が可視化される仕事ではなく、良い取り組みをしても正当な評価を得られにくい仕事です。しかも、人手不足でもあり、次から次に新しい課題が山積していく状況の中で、常に疲弊していて、なかなか人事パーソンのみなさん自身が自分たちの仕事の意義を感じにくいところがあるのだと思います。ただ、「人的資本経営」という言葉に象徴されるように、人と組織の課題は経営課題であるという認識が少しずつ経営層にも広がってきています。こうした状況だからこそ、人と組織の課題解決を担う人事パーソン自身が最もやりがいをもって仕事に取り組み、楽しく幸せに活躍する象徴的な存在になっていただきたいですよね。LDCで学んだ方々には、周囲のビジネスパーソンやこれから社会に出る学部生たちから「自分も将来、人と組織の課題解決ができる存在になりたい」と憧れられるような存在になっていってほしいと願っていますし、私自身もLDCに関わる一教員としてそのためのお手伝いをしていきたいと思います。