LDC教員にスポットをあて、深堀りするLDC教員インタビュー。今回は経営学研究科リーダーシップ・ウエルカム・プロジェクト、データアナリティクス演習の講座を担当する山口和範先生です。山口先生は、統計科学、統計計算、統計教育がご専門です。
インタビュー前編では、数学・統計学との出会いから、立教大学でぶつかった「教え方の壁」について伺った話をご紹介します。
◇戦略は魚釣りで学んだ!?
―今日は山口先生の歩んでこられたキャリアについて詳しくお伺いしていきたいと思っているのですが、先生は「統計」がご専門ということですが、どのような子ども時代を過ごしていらしたのですか?
山口 僕は佐賀県出身なのですが、子どもの頃は、福岡県との境のものすごく田舎に住んでいまして。田舎というか、山です。父がダムの管理事務所の所長をしていたので、標高300~400メートルの山の中に住んでいました。小学校も冬は雪で学校が休みになってしまうほどの山間部にあり、全校生徒は60人ほど。今は恐らく10人もいないかもしれません。友だちの家はものすごく離れているので、学校から帰ったらいつも一人で魚釣り。どこでどうすれば釣れるか、自分で戦略を考え、やってみてはまた考える、といった具合に、ずっと一人で考えながら遊んでいました。まあ、そうやって遊ぶしかなく、それが晩飯にもなっていましたしね。
―数学の道へと進まれたのはなぜですか?
山口 小中ではどの科目もまんべんなくできて、成績も良かったのですが、高校に進学したら、人との会話が少なかったせいか、国語が苦手になってしまって…。数学の道に進んだのは、高校一年の時の担任が大学院を出た数学の先生だったので、その影響です。そもそも数学というのは授業に出てなくても、後から問題を教えてもらって自分で考えたり、誰かにノートを見せてもらったりして一人で勉強することができます。それが良かった、というのもあります。
―なるほど。やはり数学は得意でいらしたのでしょうか?
山口 問題を解くのは面白かったですし、考えることが好きでした。周囲にも理系の人たちが多かったので、今でもある月刊の数学雑誌「大学への数学」に載っている数学の難しい問題を何日もかけて競い合って解いたりしていました。そうしたなかで数学に興味が湧き、九州大学の数学科へ進みました。
◇統計学との出会い
―数学科から統計学の方へと進まれたのは大学時代のことですか?
山口 はい。大学4年生で研究室を選ぶ際に、統計学の浅野長一郎先生の研究室に入りました。九大には1965年に開設された基礎情報科学研究施設という人口知能(AI)、統計、超電導(ICチップ)の研究を合わせたような研究所があり、研究室がこの基礎情報科学研究施設にあった関係で、自分も統計や情報を扱うようになり、今の専門になっていった…という流れです。数学科ではあったのですが、当時はコンピュータとかの方が面白いかな、とも思っていました。
―数学科から統計や情報といった分野に移るというのは結構大きな変化だったのでしょうか?
山口 いえ、統計のベースは数理統計学です。数理統計学というのは、要するに統計分析の道具をつくる方の立場ですので、すごく数学を使うのです。当時はコンピュータもそれほど性能は良くなかったので、それを駆使していろんな計算方法を考えたり、制限されたメモリーと速度の中で計算をより速くする方法を考えたり、と実用的な視点で数学を使って論文を書いていました。
―当時のコンピュータとはどんなものだったのですか?
山口 IBMがMS-DOSを採用したパソコンを発売したのが、私が大学に入学した1981年のことです。広く普及したNECの98シリーズが出たのが1982年、とパソコンが世の中に出回りはじめたのが80年代です。当時はコンピュータを使った研究をするって面白そうだったんですよね。私は親に買ってもらったシャープのパソコンを使っていました。ただ、実際に自分の論文を書くための計算は大学院が持っていたメインフレームを使ってやっていました。メインフレームのコンソールを自分で触る権利をもらっていたので、夜中に他の接続を全て止め、自分の計算だけをやらせて朝6時頃に元に戻す、といった形でメインフレームを自分のパソコンみたいにして使っていた記憶があります。大学は24時間空いていましたし、コンピュータは夜でないと使えなかったので、昼間は大学にいることはなく、夜になって現れる学生でした。
―メインフレームを使って計算をやらせる、とは…どういうことなんでしょうか?
山口 昔は計算結果が出るまでに1か月位かかっていたんですよ。今だったら1日もかからずに終わるような計算を1か月かかってやっていたんです。普通の学生はそんなに長い処理を流すことはできないのですが、私は許可を取って権限を持たせてもらっていたのでできたのです。問題は、計算結果がいつ終わるかが読めないこと。学会発表の提出日までに結果を出して論文を書き上げなければならないので、いつ頃終わりそうか、計算時間の計算はかなりシビアにやっていました。そんな感じなので、当時はコンピュータを計算に使って論文を書く人はあまりいませんでした。
―計算結果が出るまで1か月かかる、というのはものすごく根気が要りそうですね…
山口 正直言うと、プログラムを作って流しておけば、あとは計算機がやってくれるので、自分は別のことができるんですよ。次のことを考えることもできるし、空いた時間を自由に使える、というのがよかったのです。
◇立教大学で「教え方」の壁にぶつかる
―90年3月に大学院を卒業後、どのような経緯で立教大学にいらしたのですか?
山口 学会で立教大学の社会学部産業関係学部の教授だった岡太彬訓先生に声をかけていただいたのがきっかけです。当時の産業関係学科は「産業界の情報化に対応するため、今後は情報教育に力を入れていこう」という方針で、情報系の教員が必要だったようなのです。私が「統計学」担当の教員として着任したのは1990年のことでした。立教大学新座キャンパスができた年です。いきなり500人くらいの大教室で社会学部産業関係学科の学生と法学部の学生相手に教えなくてはならず、黒板に数式を書いたら、全員ぽかんとしていて…。「やばい!何も通じない!」と焦るも、どうしたらいいかまったく分かりませんでした。
―文系の学生たちに統計学をどう教えればいいのか、見当もつかなかったというわけですね。「教え方」はどうやって学ばれたのでしょうか。
山口 教える立場として大きく変わるきっかけとなったのは、日本科学技術連盟から「市場調査セミナーの講師をやってほしい」という依頼を受けたことです。日本科学技術連盟は品質管理に関わる企業が集まってつくられた団体で、「市場調査セミナー」はPDCAで有名なデミングが立ち上げた講座です。講師としてこの講座を引き継ぐため、私は前任者から2年間講座を受けることになったのですが、そこでは数式を一切使わずに統計学が教えられていました。当時、日本企業ではQC活動やQCサークルが盛んに行われていたのですが、QCを回す際には、「エビデンスに基づいて品質改善をしていくべきだ」とされていて、大学教育の中で統計学を学んでいない人たちにも統計を学んでもらう必要があったのです。
―数式は使わなくてもいいけれども、品質改善のために統計を学んでもらう必要があった、というわけですね。
山口 はい。私は統計数学の理論を駆使し、自分でプログラムを書いて統計の道具をつくる側にいましたので、使う人はそのバックグラウンドにある理論をしっかりと理解しておく必要がある、と思いこんでいたのです。ですが、統計というものは、便利な道具として使いこなすことの方が重要なのですよね。数式や理論を詳しく知らなくても、それぞれの現場で役に立つことの方が大切なのです。だからコンセプトをちゃんと理解して使えるようになればいい。そのことに気づき、教育内容はがらりと変わりました。
―統計は道具だから、使ってナンボ、というわけですね。
山口 みなさんも、スマホがどうして動いているのか分からなくても、毎日楽しく使っていますよね。統計も使い方が分かれば、本来、便利で楽しいものであるはずなのですが、これまでの統計の授業ではそれが伝え切れていなかった。どうすれば伝わるかと考え、「パソコンを使ってやってみたらいいのではないか」と思いつき、産業関係学部だけ、統計の授業を新座キャンパスにできたパソコン教室を使って始めました。その後、池袋キャンパスにもパソコン教室ができたので、そちらでやっていましたが、台数が足りなくなり、現在は各自のパソコンを使ってもらいながらオンライン授業で教えています。
―学生時代の山口先生は夜中にメインフレームで計算させていたことを考えると、1人1台パソコンがある、というのはいい時代になりましたね。
山口 そんな時代だからこそ、統計を使わないともったいない、と思います。パソコンにはいろんな機能がありますが、本来は計算機ですから。計算機も時計も無くてもなんとかなりますが、使える方が断然便利ですよね。それと同じで、統計を使わなくてもなんとかなるけれども、使えればとても役にたつ道具なのです。これは学生時代の私自身の経験から言えることなのですが、例えばパチスロも、ただ打つだけで勝てることもありますが、統計学を知っていると、勝率を高めることができます。そのせいで、福岡のいくつかの店では出入り禁止になりました(笑)。もちろん違法なことはしていませんよ。
―そうなんですか(笑)。ですが、統計を理解していなくても、これまでの経験から勝率を高めている人もいる気がします。
山口 もちろん、世の中にはデータを使わなくても勝てる天才的な人もいます。もう亡くなりましたが野村克也さんという、野球の名監督がいました。1992年の日本シリーズでヤクルトスワローズと西武ライオンズが対戦し、延長10回、ピッチャー川崎がスライダーを投げ、西武の秋山が犠牲フライを打ち優勝した伝説の試合というのがあるのですが、その時にキャッチャーをしていた古田に対して野村監督が「古田はなぜ川崎にスライダーを投げさせたんだ。スライダーが一番フライを打たれやすいのに」とぼやいたのです。その頃は変化球の中でスライダーが一番フライを打たれやすい、といったデータは無かったのですが、4,5年前にアメリカのメジャーリーグでデータを取って分析してみたら、確かに変化球の中で一番打たれやすいことが分かりました。このように一部の天才たちは観察と経験だけでそこまでの知見が得ることができますが、一般の人がこうした天才たちに勝つためには、データを分析して勝率を上げていく他、勝ち目はありません。ゲームや野球と同様、世の中のビジネスの成功も、基本的には誰かが勝って誰かが負けるものです。もちろん、経営というのはゲームと違ってはるかに偶発的要素が多いものですが、勘と経験だけではなく、統計を使うことで、精度を高めていくことができます。
―なるほど。統計学は難しそうだし、勉強するのも大変そう…と思っていましたが、勝率を高めることができる、と言われると、使わないのは損ですね。
山口 統計学はthe third arm、「第3の手」、と言われています。手がもう1つあったら、ご飯を食べながらスマホが見られて便利ですが、普通はそんなこと、考えもしません。ですが、統計学を知れば、3つ目の手を手に入れることができる、というわけです。この便利さは、まずどこかで体験してもらうことが大切で、一度体験すれば、スマホやインターネットのように、もうそれなしでは生活できなくなるようなものですが、それがなかなか広がらない。最近ではDXなどと言われ、もうビジネスでデータを利用しない手はない、という認識が広がってきているように思いますが、もはや「第3の手」ではなく、ビジネスに不可欠なものとなっていくように思います。
―LDCに「データアナリティクス演習」の授業が取り入れられているのは、そのためですね。
山口 はい。中原淳先生もそこはすごく意識されているかと思います。今後、データ活用は避けて通れないものとなってきますので、毛嫌いせずに受け入れていただきたいですし、どんどん出てくる新しい手法についても勉強し続けられるよう意識づけができたらと思っていますね。
―インタビュー後編では、「統計とリーダーシップ」「LDCで学ぶ方々へのメッセージ」について伺ったお話をご紹介いたします。