LDC教員にスポットをあて、深堀りするLDC教員インタビュー。今回は1年次の戦略的人的資源管理の講座を担当する佐々木 聡先生です。パーソル総合研究所にて、上席主任研究員を務める佐々木先生は、『日本の人的資本経営が危ない 強みを活かした変革の戦略』(日経BP 日本経済新聞出版、2023年)の著書もあります。組織マネジメント、人材アセスメント、ピープルアナリティクスがご専門です。
◇リクルートに入社。配属先はマイナーな人材開発事業部で、正直複雑な気持ちでした
―今日は佐々木先生の歩んでこられたキャリアについて詳しくお伺いしていきたいと思っています。佐々木先生はリクルートご出身とのことですが、入社のきっかけは?
佐々木 リクルートに入社したそもそものきっかけは大学時代のアルバイトでした。大学3年生の時に塾講師のアルバイトをしていたのですが、急にその仕事が無くなってしまい、先輩から「時給のいいアルバイトがあるから、仲間や後輩を連れてこい」と言われ、いきなり「カーセンサー」のプロモーションプロジェクトにアサインされました。「カーセンサー」というのはリクルートの中古車情報誌で、当時は関東版しかなかったのですが、関西版をつくるからその拡販をやってくれ、というわけです。いきなりでビックリしましたが、みんなで京都、大阪、神戸へ出張し、どうやったら関西版を読んでもらえるかワイワイ話し合ったり、テストマーケティングをやったりしまして。やればやるほど、どんどんいろんなことを任せられ、そのうち「うちの会社に来ないか?」と誘われ、「これはリクルーティングだったんだ」と後から気づきました(笑)。もともとは法学部にいたのでリクルートは選択肢に無かったのですが、いい人も多かったですし、「ユニークな会社で新しいものづくりをするのもいいかもしれない」と思って入社を決めました。
―87年入社とのことですが、当時のリクルートはどのような事業が中心だったのですか?
佐々木 主軸は就職情報のリクルートブック事業でした。インターネットもリクナビもまだ無い時代でしたから、当時は就活中の大学生に段ボール箱いっぱいに企業の採用情報の載った大量のリクルートブックを届けていたのです。その一方で、雑誌、情報誌など次々と新しいメディアを立ち上げていました。私は当然、学生時代からやっていたカーセンサーへの配属を希望していました。ところが、配属されたのは現在のリクルートマネジメントソリューションズの前身で人材開発領域のコンサルティングをやっていた部署でした。入ってみて分かったのは、人材開発事業部というのは、東大の教育学部で心理学を学んだ社長の江副浩正さんと専務の大沢武志さんお二人の肝いりの事業だったということです。専務の大沢武志さんは、日立の元人事部長でもあり、SPIの開発者でもあります。人材開発事業部はリクルート内でも「聖域」のような部署だったのです。ただ、当時は、いかにも存在感のないマイナーな部署、という印象だったので、正直複雑な気持ちでした。
―具体的にどんなお仕事をなさったのですか?
佐々木 当時はほとんど行われていなかった病院や大学の人材開発、組織開発プロジェクトをやらせてもらったり、HCM事業開発室の立ち上げに関わりました。HCMとは、ヒューマンキャピタルマネジメントつまり、人的資本経営です。「人的資本経営」は当時からトレンドのひとつとなっていたので、「いよいよリクルートも本格的にその領域でやっていくのだな」と思ったものですが、あっという間に解散してしまいました。と、思ったら最近ようやく「人的資本経営」が言われ出したので、20年早かったようですね。当時、リクルートが目指していたのは、今でいうタレントマネジメントシステムです。SPIなどのアセスメントを行っていた部署と、システムを行っている部署と私がいた人材開発事業の部署、3つの組織からの人が集まってまだ世の中にない、タレントマネジメントシステムのようなものをつくろう、としていたのです。私は先進的な企業20社にテストマーケティングをしました。反応は良かったのですが、情報セキュリティの問題やシステムの欠陥などの問題もあり、2年間やって、撤退という判断が下りました。
◇40歳、キャリアの折り返し地点でビジネススクールへ
―その後、2004年にリクルートを退職され、大学院へいらしたということですが、きっかけは何だったのですか?
佐々木 人材開発事業部にいた時にはっと、目が覚めるような研修を受けたことがきっかけでした。その研修は、マッキンゼー出身のコンサルタント、波頭亮さんによる、プロのコンサルタントになるための、「プロフェッショナル研修」でした。その授業がもう厳しくて厳しくて…。普通なら辛くて学ぶ気になれないような研修なのですが、不思議と休もうとは思いませんでした。むしろさまざまな概念や理論などが、「なるほど、自分がこれまでやってきたことはこういう意味があったのか」と、体感のようなものと結びついて腹に落ち、自分の中に体系ができていくような感覚がありました。一方で、まだ知らないこともたくさんあるということにも気づき、「このまま経験と勘だけで進んで行っても、延長線上にしかいられないだろう」と感じ学び直したいと思ったのです。それはもう身体の奥底から湧き上がってくる欲求みたいなものでした。
―「学び直したい」という欲求が身体から湧き上がる、というのはすごいですね。
佐々木 それからは片っ端からいろいろな研修を受けて勉強していました。ですが、つまみ食いみたいな形ではなく、しっかりと体系的に学びたいと思うようになり、石川淳先生もいらした慶應ビジネススクール(KBS)に行くことにしました。「学びたい」というとカッコいいですが、正直、焦りや不安のようなものもありました。それなりにベテランになってきて、リクルートのサービス、商品のことはよく知っているものの、それ以外のことを分かっていない。40歳がキャリア人生の折り返し地点だとすると、今のままでは後半戦は苦しくなりそうだから、第二の人生をスタートするために心を入れ替え、会社を辞めて、2年間しっかり勉強しよう、そんな気持ちでした。
―社会人大学院(KBS)での学びはいかがでしたか?
佐々木 2年間の学びは本当に大きかったです。高木晴夫先生のゼミに入ることができ、現在もお付き合いが続いています。それこそピープルアナリティクスについては、高木先生のゼミでやらせていただいた経験が今に生きていますね。同期との出会いも財産になっています。1学年90名いたのですが、先週も何名かに会っています。とにかく、投資した分よりも、はるかにリターンが大きかったです。
―卒業後はどうなさったのですか?
佐々木 人、組織の領域を学び、深めたことで、改めて今後もこの領域をやっていこう、と卒業後2社目はヘイコンサルティングにマネジャー職として入社しました。領域としては同じだったのですが、リクルートとは全く違っていました。外資系ということもあって、顧客はグローバルサイズの企業ばかり。アセスメントの蓄積も相当持っていますし、アカデミック性も強く、知見も豊富。いろいろ学ぶことも多かったのですが、ちょうどリーマンショックが来てしまいまして…海外に比べて日本は全体的に立ち直りが遅かったうえに、東日本大震災も相まって状況は厳しく、大変でした。3年間弱働いた後、パーソル総研の前身であるインテリジェンスHITO総研に入社しました。コンサルタントは私ともう一人しかおらず、これからつくっていこうというところで、おもしろそうだと思って入社しました。
―パーソル総研ではどんなお仕事を?
佐々木 まさに人事コンサルタントです。幸いなことに、グループ会社が100社近くあったので、案件に事欠くことはなく、そこでいろいろなことをやらせてもらいました。グループ会社といっても、コンペはありましたので、無条件でとれるというわけでは無かったのですが、グループ内で実績を上げ、事例化したものを外部に展開していく、という流れができたことで、急成長することができました。気づけばコンサルティングの部署に20数名、ピープルアナリティクスラボという統計データを扱う部署にデータアナリストが3名ほど、海外向けの拠点もつくり、30名弱の大部隊となりました。
◇「難しそうでよく分からないものほど分かりやすく」
―人事コンサルタントとして、本当に多くの課題解決をなさっていらしたかと思うのですが、佐々木さんの目からは、今の日本企業はどのように映っていますか?
佐々木 残念ながら、もう、相当まずいと思っています。私たちは子どものころから日本はGDPが世界二位で、日本企業はすごい、日本は経済がすごい、と聞かされて育ってきました。日本が一番元気で勢いのあった時代も知っているからこそ、この失われた30年の間、ずっと下降し続けていることに危機感を覚えています。一番の問題は、やはり経営者にあるのではないでしょうか。バブル以降、経営者は慎重になり、とにかく守りに入ってしまっています。とにかく「倒産しない」ことを至上命題にして、儲けたお金はひたすら内部留保に回す、コンサバな経営しかしてこなかったのです。
―人への投資もされてこなかった、ということですよね。
佐々木 人への投資も怠ってきました。20年前、リクルート時代に人的資本経営が日本に浸透しなかったのは、海外に比べてそもそも人への投資ということがされていなかったというのが、本質的な要因だったように思います。昨今、人材不足が深刻になり、生産性を高めなければならない、ということになって、ようやく「人に投資した方がいい」といった機運が高まっていますが、20年前、経営者がもう少し人への投資を行っていたら違ったのではないか、と思いますね。経営の発想を根本的に変えるためには、経営者が世代交代する必要がある気がします。それにはまだ時間がかかりそうですが。
―佐々木先生が、コンサルティングのお仕事で大事になさっていること、というのはなにかありますか。
佐々木 「難しそうでよく分からないものほど分かりやすく」ということを心掛けています。単純化する、あるいは構造化するといってもいいかもしれません。我々は様々な人事課題や組織課題を聞き、それらを整理し、どこに核心があるのかを掴む必要があります。そのためには構造化しなければなりません。構造化するのは、それをしないと再現性が担保できないからです。単純化、構造化するということは理論化する、ということです。コンサルタントの中には、自分の経験値だけで課題解決をする人もいます。もちろん、解決すればそれでいい、という考え方もありますが、それでは同じような問題に直面している人の役に立ちません。その企業ならではの複雑な背景や特殊事情も、一旦、分かりやすく単純化、構造化したうえで、その企業に合ったやり方を探っていく方が、再現性があるのではないか、と考えています。
―確かに、先生の授業では、これまでの知見が全て分かりやすく整理されたお宝のような資料がたくさん使われています。
佐々木 授業では20年以上かけてコツコツとつくってきたフレームをたっぷりお伝えしています。私は単純化、構造化と共に「歴史を俯瞰する」ということも大事にしています。残念ながら、人や組織の領域では、宇宙人でも来ない限り、イノベーションは起きないと思っています。ヒト、モノ、カネのうち、モノとカネはイノベーションによって大きな次々とダイナミックに変わっていますが、ヒトについては、少しずつ変わってきてはいるものの、モノ、カネほどの大きな変貌はありません。人間の本質は原始時代からほとんど変わっておらず、なにか突飛なメソッドが生まれて、人や組織がガラッと変わる、ということはまず起きないのです。だからこそ、歴史を俯瞰する目が大切です。ドイツの哲学者ヘーゲルは、世の中は直線的に発展するのではなく、原点回帰しながら螺旋的に発展していくものだとする「螺旋的発展」を説いています。たとえば、手紙です。昔は伝えたいことをテキスト化し手紙にして郵送していたのが、テクノロジーの発達により音声による電話が主流になり、その後またテキストベースのファックスが登場し、インターネットの普及でメールになり…という形で形式もスピードも変わっては来ていますが、伝えたいことをテキスト化して送る、という手紙の本質は原点回帰しています。人や組織の領域も同様で、ジョブ型や人的資本なども、昨日今日出てきた概念ではなく、歴史を振り返ってみれば、何度も繰り返している流れなのですよね。それに気づくためにも、歴史を俯瞰する目を持っていただきたいな、と思っています。
―今、AIやHRデータの活用、タレントマネジメントシステムなど、人・組織領域にも次々と大きな変革の波がやってきていますが、あまりそうしたことに惑わされず、本質はどこにあるのか、俯瞰して見ていく必要がありますね。
佐々木 今起きている現象だけ見ていると、何が起きているのか分からず慌ててしまいますが、過去から俯瞰して見ていくと、以前も同じような流れで似たような事象があったことが分かります。そのうえで、昔と今は何が違っているのかが分かれば、将来どうなっていくのか、予測することができますので、そうした視点を持っていただきたいですね。
―最後にLDC生へ伝えたいことはありますか?
佐々木 以前から、日本の大手企業十数社の人事部長、人事担当役員の方々を集めた研究会、勉強会をやっていまして、先日、その研究会後、近況を報告しあうアルムナイの会がありました。賞を取るほどの大きな成果があったと報告してくださる方もいる一方で、人的資本経営について他の経営陣から理解を得られない、という悩みを打ち明ける方も多くいました。そうした方々がお話を伺う中で、課題として浮かび上がるのが、「人材戦略がストーリー化できていない」ということです。パーパスもあり、様々な施策も打っていて、採用計画もあるし、目指す組織の姿も描けている…けれどもそれぞれがパーツとしてあるだけで、全体のストーリーになっていないので、経営からは筋道が見えないのです。それこそ、歴史的に俯瞰する目を持って、理論と実践の橋渡しをする人がいて、つなげてあげる必要があるわけなのですが、そうした人は現場にそう多くはいません。LDCでの学びは今後も間違いなく、多くの現場で必要とされる武器となっていくように思います。ぜひLDCで学んだことを、多くの現場で実践していっていただきたいと願っています。