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  • 2023.08.01
  • 教員インタビュー
  • <LDC教員ロングインタビュー> 石川 淳教授「社会人大学院から研究者人生が始まった」

LDC教員にスポットをあて、深堀りするLDC教員インタビュー。
初回は立教大学統括副総長でもある、経営学部教授 石川 淳先生です。

シェアド・リーダーシップの研究者として知られ、研究分野は組織行動論、リーダーシップ論、人的資源管理論です。LDCではリーダーシップ・ウエルカム・プロジェクト、組織行動論、リーダーシップの理論、リーダーシップ・ファイナル・プロジェクト1、リーダーシップ・ファイナル・プロジェクト2を担当しています。


◇小学校の卒業文集に「大学の先生になりたい」


―今日は石川先生がなぜ大学で経営学の先生をなさっているのか、なぜリーダーシップの研究者となったのか、石川先生の歩んでこられたキャリアについて詳しくお聞きしていきたいと思います。そもそも、先生は昔から研究者志望でいらしたのでしょうか?


石川 えーと、これはかなり恥ずかしいんですが、実は小学校の卒業文集で、「将来は大学の先生になりたい」と書いていたんです。といっても、研究者になりたかったわけではなく、先生になりたかったのです。
なぜかといえば、「エラそうにしたかったから」(笑)。教えたいとか、成長を促したい、なんていう気持ちは微塵も無く、「小学校より中学校、中学校より高校、高校より大学の先生の方がエラそうにできそう」といった、単純な動機でした。中学、高校時代にはそんなことも忘れて全然勉強していませんでしたし。部活だけは頑張っていましたね。中学・高校では剣道部、大学ではバンドブームに乗ってバンドをやっていました。



―大学時代はどんな学生でいらしたのですか?


石川 大学は法学部に入りました。入学時に、「ここからは勉強する人生に切り替えよう!」と決意したのですが、初回の授業で挫折しました。大教室で教授が黒板に向かってよく聞き取れない言葉をぶつぶつと何かを話すこと1時間半。最後に「どうせ君らに言っても分からなんだろうな…」とつぶやいて去って行きました(笑)。
実際、全く理解できなかったですし、「これはもう学問の世界は無理だ」と早々に諦め、4年間サークルでバンド活動に明け暮れました。フュージョンのバンドで、ベースを弾いていました。勉強は一切しなかったので、卒業単位もギリギリ、いえ、厳密には少し足りなかったのですが、再試験でなんとかクリアし、4年で卒業できました。



―とても楽しい大学生活だったことは伝わってきました(笑)。新卒で製薬会社に入社されたとのことですが、志望されていたのですか?


石川 いえ、51社受けて50社落ちてしまい、行くところがその会社しかなかったのです。というのも、受ける基準が「給料が高い会社」または「初任給が高い会社」といった浅はかなものだったので…、業界研究もしてなかったですし、何になりたい、という思いも特にはなかったですし、まあ…それは落ちますよね(笑)。
その当時の自分に出会ったら「いいかげんにしろ!」と叱ってやりたい位ですが、当時は本当に何も考えていなかったのです。入社した会社も、実は募集を終えた時期にコネでお願いして受けさせてもらい、なんとか入れてもらえた会社でした。



―いささか心配な社会人のスタートですが(笑)、どのような社会人生活だったのでしょうか。


石川 文系で製薬会社に入社した人は、営業職に就くのが通例で、私も営業部に配属されました。今でいうMRですが、当時は認定資格なども無くて、MRではなく、プロパーと呼ばれていました。
プロパーの仕事は毎朝、医局に顔を出し、先生方に挨拶し、世間話するところから始まります。差し入れをしたり、接待をしたりして、気に入ってもらえるよう関係づくりをするのです。大学病院の医学部の先生が絶大な影響力を持っていましたので、自社の薬を使ってもらうために、先生方とのコネクションをつくるのがプロパーの役目。1980年代のバブル期でしたし、各社、今では考えられないような営業攻勢をかけていました。
若手でしたので、学会のお手伝いなどにもよく駆り出されて行っていたのですが、一流ホテルの複数フロアを貸し切り、それはもう華やかなものでした。後に、私が社会人大学院に入って、指導教授から学会に連れていっていただけることになり、「どこのホテルでやるのかな?」などと思っていたら、会場が大学の教室だったので、衝撃を受けた覚えがあります(笑)。それが普通だと思いますけどね。



―バブル期の製薬業界、大変そうですが、楽しそうでもありますね。


石川 バブル時代ということもあって、派手で華やかで楽しくはありました。当時は接待などで、ゴルフにもよく行っていましたしね。また、当時お付き合いしていたお医者様の中には今でも親交ある方もいますので、そうした人との関わりができたのも良かったですね。
一方で、なぜここまでして営業をかけなければならないのだろう?と疑問に思うところもありました。営業によって先生に気に入ってもらう必要があるのは、結局、どの会社も効果はほとんど変わらない同じような薬を売っているからなのです。そのことに気づき、社会的な意義に疑問を感じながらも一所懸命取り組んでいたことを覚えています。ちょうどそんな時に、人事へと異動することになりました。入社して5年ほどたった頃でした。



―人事ではどのようなお仕事を?


石川 若手でしたので、大した仕事はしていませんが、会社全体に関われるような仕事ですし、人事制度改革など、「これをやったら働きやすくなるな」と感じることができ、やりがいはありました。
そこで、少しでも仕事を理解しようと、人事管理入門、労務管理入門みたいな本を読むようになったのですが、これがめちゃくちゃ面白くて。大学時代の勉強は、ちっとも頭に入らなかったのですが、こうした本は、仕事に直結しているためか、内容が手に取るように理解できるのです。初めて本を読んで面白いと感じました。著者を見てみると経営学部や商学部の先生方です。その頃から「こういう学問なら経営学部や商学部で勉強してみたいな」と思うようになり、人事部に移って2年ほど経った頃に、会社を辞めました。





人生を変えた社会人大学院


―それで、大学院に行かれたのですか?


石川 いえ、まずは会社を辞めました。当時はバブル絶頂期で「なんとかなる」ような気がしていたのです。とりあえず、社労士の資格を取得し、その後、大学院を目指して勉強を始めました。
たぶん、その頃には、「大学の先生になりたい」と思い始めていたように思います。母校だから、ということで慶應ビジネススクール(MBA)に入学したのですが、これが本当に面白かった。同級生の半分近くが会社派遣で来ている人たちだったので、みんなものすごく優秀な人たちばかり。そうした人たちと話すのはとても刺激的でしたし、生まれて初めて勉強するのが楽しい、と感じました。
とはいえ、成績評価が厳しく、勉強は大変でした。留年が許されず、放校になってしまうので、プレッシャーがすごかったです。特に私は博士コースへ行きたかったので、そのためにいい成績を取らなければ、と必死でした。当時は結婚もしていましたし、会社派遣の人たちのように戻る職場も無い、ということで精神的にはきつかったですね。一定の成績以上だと博士コースの一部試験が免除になる、という制度があったので、それがクリアできるように頑張りまして、なんとか無事に博士課程へ進むことになりました。



―大学院が人生を変えた、といっても過言ではないですね。


石川 そうですね。人生を変えたのは、仲間たちとの出会いもそうです。仕事が絡まない分、利害関係がないので、本音で話せる仲間ができました。MBA時代の仲間は今でも仲間で、今度30周年の集まりしようと話しています。LDCのみなさんも卒業後、そんな風に続いていくといいだろうなと思います。30年も続く関係はそれだけで大きな財産ですよね。



―博士課程はいかがでしたか?


石川 博士課程はMBA以上にきつかったです。指導教授に「日本語、英語を問わず、1日1冊の本もしくは5本の論文を読みなさい」と言われていて、とにかくものすごい量を読まされました。時間が無いので、お風呂の中でも読んでいた位です。
これは米国の大学院でやっているような教育方法だと思いますが、日本が世界で戦おうと思うのであれば、それ位読まなければならない、ということですよね。当時は、組織行動論ではなく、HRM、人材マネジメント、特に賃金の問題をメインに研究をしていました。



―その後、山梨学院大学で職を得て、大学教員としてのキャリアが始まったわけですね。


石川 はい。山梨学院大学商学部の専任講師になり、その後助教授となって5年間勤務した後、2003年に立教大学の社会学部産業関係学科に移りました。2006年には白石典義先生が中心となって経営学部を立ち上げ、私は経営学部助教授になりました。学部新設にあたっては、他大と差別化を図るため、リーダーシップ、そしてグローバルという2軸を掲げることとなりました。
ところが、当時の立教には「リーダーシップ」についての専門家は一人もいなかったのです。そこで、白石先生が「石川さん、研究領域がリーダーシップに一番近そうだから、明日からリーダーシップ研究をやってください」とおっしゃったのでリーダーシップ研究をやることになりました。白石先生は学部長でいらしたし、高校の先輩でもあったので、断れませんでした。





シェアドリーダーシップとの出会い


―先生のリーダーシップ研究者としてのスタートは、上司からの指示だった、ということですか?


石川 いえいえ、元々リーダーシップには興味がありましたし、そもそも日本ではほとんど研究されていなかったので、自分でやってみたい、という気持ちはあったので、押し付けられた、というわけではありません。
シェアド・リーダーシップに出会ったのは、翌年の2007年のことです。サバティカルでオレゴン大学に行ったのですが、その時にリーダーシップ研究についていろいろと調べている中で、初めて「シェアド・リーダーシップ」という概念を知り、「これだ!」と思いました。
というのも、経営学部生にリーダーシップ教育を行うにあたって、「みんながリーダーになれるわけではないのに、全員にリーダーシップ教育を行う意味はあるのか?」と、説明を求められることが多かったからです。シェアド・リーダーシップであれば、全員に対してリーダーシップ教育を行うことの理論的根拠になる、と思いました。
また、自分自身、リーダーシップ研究を行いながら、内心「自分は変革型リーダーにはなれないな…」などと思っていたので、「シェアド・リーダーシップなら自分でも発揮できる」と思えたのも大きかったです。さらに言うと、過去の会社員経験から「日本の会社に合っていそうだな」とも感じました。日本の職場って上意下達でありながら、「指示待ち族」というのは嫌われます。和を尊びつつ、気を利かせる、というリーダーシップのあり方は日本的風土に合うのではないかと。



―その時の出会いが、後の『シェアド・リーダーシップ』『リーダーシップの理論』(ともに中央経済社)などの著作へとつながっていくわけですね。先生のご著書をきっかけに、シェアド・リーダーシップも徐々に広がってきているように思います。


石川 そうでしょうか。私はもっともっと広がってほしいと思っています。
研究上ももちろんですが、やはりシェアド・リーダーシップの方が組織や職場の成果も高まりますし、働いている人も一方的に指示を受けるよりは自分で発案、発言して自律的に行動できる方が楽しいはずですので、職場の働き方改革の一つとして広がってくれたら、と思っています。
それと同時にリーダーシップという概念の誤解も解いて行きたいです。従来のようなカリスマ的なリーダーだけが発揮するリーダーシップのイメージだけでは、シェアド・リーダーシップは理解できません。リーダーシップを「チームのゴール達成のために影響力を発揮すること」と捉えれば、誰でも発揮できるはずですし、「リーダーになりたい人がいなくて困る」といった話にもならないのでは、と思うのです。



―とはいえ、実際に職場でシェアド・リーダーシップを広めていくためには、まだ難しいところもありそうです。学生時代にシェアド・リーダーシップを発揮できていても、企業に入ってから職場でシェアド・リーダーシップを発揮することが難しい、という話も聞きました。


石川 経営層やマネジャーの方々に申し上げたいこともたくさんあるのですが、若い方々にも、あきらめず、「小さなことであっても、なにか自分にできることはないだろうか?」と考えられるようになってほしいです。それができなければ、自分の人生を変えていくことはできないだろうと思うからです。
大それたことをする必要はありません。リーダーシップは誰でも発揮することができます。そして、自分の周囲が少しでもいい方向に向かうよう、ほんのちょっとプロアクティブになって働きかけることができれば、それだけで人生は変わっていくものです。



―先生ご自身もシェアド・リーダーシップに出会って変わった部分はおありだったのですか?


石川 そうですね。もしシェアド・リーダーシップに出会っていなければ、学部長を引き受けることはなかったと思います。自分のリーダーシップには全く自信が無かったですし、役職に就くことに興味もなかったからです。
ですが、シェアド・リーダーシップならできるかもしれない、と思いました。個々の先生方のやりたいことを伺って、それが実現できるように全体の方向性を合わせていくようなことならやれるかもしれない、と。まあ、実際はなかなか大変ですけどね(笑)。白石先生がおつくりになった経営学部をさらにいい学部にしなければ、というゴールに対する責任感だけは持っているつもりです。



―最後にLDC生へのメッセージをお願いします。


石川 LDCで学ぶみなさんには、社会の中で、人づくり、組織づくりの担い手となっていただきたい、と思っています。
一昔前の人材マネジメント研究では、「日本企業は人を大切にする」「日本企業は人材育成を大事にする」と言われていました。人材育成は日本企業の“強み”とされていたのです。しかし、いまやそれは壊滅的に廃れてしまい、残念ながら、今では日本企業の“弱み”となり、日本経済停滞の一因ともなっています。なぜ廃れてしまったかというと、それらが経験と勘だけで行われてきたために、環境の大きな変化に対応できなくなってしまったからです。だからこそ、これからはもう、人と組織についての基礎知識とスキルを身につけた人でなければ、人材開発、組織開発の仕事をすることができなくなっているように思います。
LDCの修了生の方々には、それぞれの現場で、人づくり、組織づくりの知識、スキルを伝え、人を育てていっていただきたいのです。立教大学はキリスト教系の大学ですから、LDCで学んだことを、自分のためでなく、社会に返していく、そうした使命感、ミッションを持っていただきたいです。欲を言えば、リーダーシップ研究者として「リーダーシップの概念、イメージを変えていただきたい」というのもあります。
あとは、LDCで共に学んだ仲間との絆を大事にしていただきたいです。私自身も30年前に共に学んだ社会人大学院の仲間とはいい関係が続いていて、今、30周年パーティを企画しているところです。大学院で共に学んだ仲間は、人生の財産になります。30年後、「あの時、石川にいじめられた…」などと、思い出を語りあっていただきたいものです。